飛ばない豚

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書くのが苦手

読みたいことを、書けばいい。」を読んでおきながら、非常に自分語りをしてしまう事になる。

 

書くのが苦手だ。

 

じゃあ何が得意なのだと言われると胸を張って、これなら人並以上に出来る事など何もないのだが、ブログと言う媒体であるので、書く事について語らせてもらいたい。

 

そもそも書く事に苦手意識を持ったのはいつだったろうと思うと、心あたりがあるのは小学校2年生である。

私の母は昔から詩を書いていて、現在は俳句を書いている。

地方紙とは言え何十万部も発行されている新聞やら、職業詩人が属している詩人会の発行紙で金賞を何度も受けたりと、身内が言うのは何だがそれなりの人である。

そして物心がつく頃には、周辺に詩人だの俳人だのがいたので私も文章を書くのが好きだった。

小学校では校内には大概いるがすぐに行方不明になったり、突然、授業中に歌を唄いだしたりなど、問題児ではあったが、文章を書く事に対しては何某か思っていたらしく、大層大人しく机に向かっていたそうだ。

小学校1年でも作文に関してはずいぶん先生に褒められたりと当初から頑張っていたがそれが実を結んでなのか小学校2年生時には市の作文コンクールに応募する代表となった。

 

ところがこれが私を悩ませる事となる。

書いた作文は別学年の知らない先生から褒められたりと大層評判が良く、私も親も当然、書いたものがもちろん誤字脱字程度の修正はあるにしても、ほぼそのまま応募されると思っていた。

しかし、代表に選ばれてから1週間、私は放課後、遊びに行きたいのも我慢して教室に残され、やれ語体が統一されていないだの、これでは意味が通らないからこう直そうだのよくわからない修正を延々とやらされる羽目になった。

何をやったのかもう本人にはわからないくらいの事だった。

おかげでなのかはわからないが、無事、作文は高学年が上位を占める中で唯一の低学年として入賞した。

きっと母親に見せれば喜んでくれるに違いないと思い、作文コンクールの冊子を家に持ち帰り母親と一緒に見て、子供ながらにショック受けた。

そこには私が最初に書いた作文が骨子としては残っているが、言葉は私とは全く違うものが載っていたのである。

寸評も「2年生とは思えないくらい整った文章で素晴らしい」だの「2年生でこんなにしっかりとした考えを持っているとは」だの、自分としてはわけがわからない事が書かれていた。

そりゃそうだろう。1週間かけて私の作文は先生の作文に変わってしまったのである。

私はむしゃくしゃして、母親が見てる途中で取り上げくしゃくしゃにして冊子を捨てた。*1

そしてそれ以降、作文を書く事をほぼやめてしまった。

提出しないのはダメだろうと思っていたので提出はしたが、本当に適当に書き、毎回、先生の怒りを買う様なものばかりになった。

そして、作文だけではなく文章を書く事もやめてしまった。

もちろんノートを取るのもやめてしまった。

残りの4年間でノートは1冊も消費しないくらいである。

さらに大学受験を本当にやろうと思い立った、高校3年までほぼノートは取っていない。

おかげで大学のレポートはぼろくそに言われ、実験内容が真っ当でなければ単位をもらえなかったくらい。

社会人になってからも、日報もまともに書けないと怒られ、気づけば前職まで私がしゃべった事を文章に整えてくれる謎の担当者が付くくらい文章が書けない。

 

そして、ある日、私は文章が書けないと言う事がもっと大きな問題をはらんでいる事に気づく。

「文章を書く」は≒「考えを深める」事である。

もちろん考えを深める事はもっとたくさんの方法があるが、多分、書く事は確実に考えを深める方法の一つなのではないだろうか。

そして「記憶する」事も「文章を書く」がものすごく効果を発揮する。

 

私は小さい時から本を読むのが大好きで、たぶんその辺の人よりたくさん読んできたと思う。

だが私の口からこぼれる言葉は浅い。そのため往々にして私は人になめられ続けている。

更に鬱になり会社を辞めてふらふらしていた頃に気づいたが、あんなにたくさん本を読んだのに、私の中にはほとんど何も残っていなかった。

 

アドラーに言わせれば書く事をやめたのは自身の選択なのだから、当然の帰結であろうと言われそうだ。

だから私は数年前に少しでもましになればと思いブログを始めた。*2

そして駄文を世に垂れ流し始める。

自分で読んでもあまりに目に余るので、散々、文章法の本を漁って読みまくったがいまだに、ブログの編集画面を前にすると何をどうしたら良いのかわからなくなる。

気持ち的にはユリイカの特集の載るような深い考察を含めた批評とか、フミコフミオさんみたいな*3文章を書きたいなどと、とんでもなく尊大な意識をもって書いているのだが、実際出てくるものは小学校2年生の自分にすら全くかなわない様な駄文になってしまう。

飽き性な自分からしたら、途中さぼったりはあったにしてもびっくりするくらい続けているのに、全く成長している気配がない。

ただ幸いな事に数少ない心優しい方々以外には全く気付かれていない様で、厳しいコメントや脅迫を受けたりした事ない。

 

本当にお恥ずかしいとは思っているが、いつか私の考えが他の人の10分の1でも深く、読んだ本の100分の1の内容を覚えている程度になる日を夢見て書き続けようかと思う。

そうは言いつつも何度も心挫けそうになるが、心優しい方が見てくれているのがものすごく励みになっている。

とっても感謝してます。

 

 

 

*1:そうは言っても、母親としては大層嬉しかったらしく、私の文章ではないと思ってはいた様だが別途冊子は入手していまだ保存しているのが更に悲しい。やっぱり自分の作文が載ってるものを持っていて欲しかった。

*2:もちろん当時は副業が流行りだした時期なので少しはお金になればと言う邪な気持ちがある事は否定しない。

*3:idリンクを張るのもおこがましいので張らない。