飛ばない豚

主に読書について書いています。

記憶の色と言葉

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秋の公園の木々

良いカメラを買う流れ

今日、海老名の写真を撮りに行った帰りに綺麗だなぁと思って撮った一枚。

 

自分の目で見て綺麗だと思ったので、その通りに色を出したいんだけど思うようにいかなかった。

 

ネットで写真の事を調べている時に、誰かが「記憶色の再現を優先します」と言っていたが、こういう事かと思った。

 

結局、絞りとか露出の調整とか細かい事したり、レタッチするならRAWで撮りたいとか、広角のレンズ欲しいとかなって、こうやって高級コンデジだの一眼レフだのを買う流れが出来上がっているんではないだろうか。

 

予算の都合上、買えないのが悲しいけど。

 

写真を通して改めて言葉を思う

写真に興味が出てから、この写真は構図がこうなっているんだとか、F値を絞ると光がこんな形になるとか、被写界深度を深めにしてとか。

 

ただ見て綺麗だなぁとか、ドキッとしたとかの感覚だけじゃなくて、言葉に直して認識するようになった。

 

そうしたら以前よりもずっと写真が良く見えるようになった気がする。

記憶にも残るようになった。

 

実際、記憶術の本だったり、勉強の本だったりを読むと、一度、言葉として脳が理解しないと記憶としてあまり役に立たない。

 

覚えないわけではない、思い出しづらくなる。

 

匂いや映像は言葉より強く記憶に残るが、思い出すタイミングは似た状況になった時だけだ。

 

でも、言葉で一度理解すると似た状況が発生しなくても、いろんな言葉をたどって思い出すことが出来る。

 

言葉の必要さ

もちろん言霊みたいな話もあるが、ここでは心理的な話ではない。

 

人はコミュニケーション大部分に言葉を選んでしまった。

 

そのせいで、他の感覚が他の動物に比べてかなり鈍い。

 

たぶん、脳みそもそれに適応しているから、いちいち理解するのに言葉を必要とするのだ。

 

 

 

写真を撮っていて、そんなことを思った。

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