飛ばない豚

主に読書について書いています。

「2週間で小説を書く!」清水良典 - 実践練習!【不定期更新】

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最近はてなブログを始めて、右も左もわからなかったので、とりあえずブログチャレンジをやっているでですが、max (id:goumax)さんのエントリーで

はてなの中級ブログチャレンジに「小説を発表する。」と言う項目がある。

って話がありました。

goumax.hatenablog.com

 

 

そんな無茶振りがー!どうしようって思ったんだけど、そう言えば以前にそんな感じの本を買ったなぁと思い出したので読んでみる事にした。

 

「2週間で小説を書く!」清水良典 幻冬舎新書

※ここで引用されているものは、すべて

「2週間で小説を書く!」 清水良典  幻冬舎新書

からの引用です。

 

タイトル

何気にほんの2日前のエントリーで何日で出来るみたいなタイトルの本は無駄だー!って話を書いておいてなんだが、多分に漏れず私も「2週間で」なんてタイトルについてる本を買っているじゃないか!!!

まぁこの際、2日前の話は置いておいて。

 

著者について

清水良典って誰だよー!?

買っておいてなんだが全然知らないです!たぶんkindleのセールの時にちゃらっと買ってしまったので、あんまりちゃんと調べてないんだな。

清水 良典(しみず よしのり、1954年1月17日 - )は、奈良県出身の文芸評論家。愛知淑徳大学メディアプロデュース学部教授。愛知県名古屋市在住。

清水良典 - Wikipedia

って事で、文芸評論家の方なんですね。

「高校生のための文章読本」って本やその他「高校生のための~」って本が2冊あって四半世紀も売れ続けているらしい。

他にも著書が多数あります。かなりちゃんとした人でした。

 

まずは目次から

大きく3章に分かれています。

第1章 小説の入口

第2章 小説の中身

第3章 小説の出発

でそれぞれ第1章が1~5日目まで、第2章が6~9日目まで、第3章が10~14日目までで分かれています。

 

はじめに

しかし、ぺらぺらの書きなぐりの小説を、たとえ二週間で書けたところで、本当はたいしたことではないのである。

 ああー!この人もちゃんとわかってる。そうですよね。2週間とかじゃ大した事出来ないですよね。

この書籍が目指しているのは小説を書けるようになる基礎力を習得するという事らしいです(本当はこっちの方がずっと大変かもとも書いてあります)。

 で、第1章は小説創作の基礎体力を養う事、第2章は内容の吟味と洗練、第3章は作家として世に出る道を探るって内容になっていて、その合間に実践練習が十四日分あるそうです。

本書のモットーは、楽しみながら書く、ということである。

との事なので楽しみながら書くを心掛けて読み進もうかと思います。

 

もう眠いので今日はここまで。。。。

 

 

とりあえず【実践練習第1日】リレー小説

いきなり実践練習からです。

1日目は数人で数行づつ、リレー形式で書いて行ってリレー小説を書く事みたいです。

 

 

さっそく実践

極寒

 

男が歩いている。

男は自分がなぜ歩いているのかわからなかった。

「俺はなぜ歩いているんだ。どこに向かっているんだ。寒い。こんなに寒いのに。」

 

男は森の中を歩いていた。

昼でも薄暗く人気はしない。

生き物の気配すらしない。

 

しばらく歩くと道に出た。

ふと、道の少し先の看板に目がとまる。

看板には「この先、見晴台」と書かれている。

 

「とりあえず行ってみるか」

再び歩き出す。

少し行くと見晴台が見えた。

ろくにメンテナンスされていないようで、所々、腐ってもげている。

 

ギシギシ音を立てる見晴台に登ると、少し先の森の切れ間にホテルの様な建物が見えた。

 

その先には黒い大地、そしてその黒い大地にしっかりと腰を下ろした、白い冠をかぶった富士山。

 

しばらく眺めているとふっと男は思い出す。

「そうだ。俺はあいつに会いに来たんだ。あいつに会わなければ。」

真っ白い息を凍えた手に吹きかけ男は再び歩き出した。

ポケットに折りたたみナイフをひとつ携えて。

 

実践について感想

書いておいて何だが恥ずかしい!とにかく恥ずかしい!

恥ずかしくて死にそうだよ、母さん!

ブログでこんな事、発表するなんて、なんて恥ずかしいんだ!

この恥ずかしさは、学生時代いじめられて好きな子の前でまっ裸に剥かれた時くらいの恥ずかしさだよ。

いや、あれはまだご褒美になる可能性があるけど(今なら罪に問われずそんな事出来たらご褒美でしかないが!)、これはそんな可能性も全否定!

ただ、ただ恥ずかしい!

もし、清水良典さんに会うことがあったら、まじクレームだ!

  

 気持ちを取り直して、本文に行こう。

1.書きたい人だらけ

・世の中にはびっくりするくらい文学賞があるけど、小説の単行本は売れなくて困っている。

・小説家志望は何万人もいるけど、書きたがるばかりで読もうとしない人ばかり。

 

小説は読まなくても書けるか?

書けるのである。

小説は、どんな人にでも書ける。

この事実から出発したい。

・学校の国語の授業でも読んでるし、マンガやドラマ、映画も小説の技法を取り入れているから、すでに十分浸透しているし、自分の理解や他人を理解するのに「物語化」を行っていて、自然と身についているため。

 

・ただし、自分の経験の中だけで身に付けた書き方で小説を書くと、うまく書けたと思っても、どこかで読んだようなステレオタイプな書き方になってしまう。

小説を特に熱心に読んでいなくても、勉強していなくても、小説は書ける、かもしれない。ただし、多くの場合、それはステレオタイプに染まってしまう。

・ステレオタイプにハマってるか判断を正確に判断できればそうはならない。でもステレオタイプにハマる人ほどそう言う小説を良く書けたと勘違いしてしまう。

読者からどう読まれ、どう思われるかということに対する想像力が欠落しがちなのだ。

そういうことに対する配慮も書かれる後で書かれるようです。

 

どうして書きたいの?

・なぜこんなにも多くの人が書きたいのか?

①有名な作家に憧れていて、自分もそうなりたい。

②うまくいったら印税生活で優雅に暮らしたい。

③子供の時から作文が得意で、先生から「お前は作家になれる」と言われた。

④人と付き合うのが苦手で、一人でじっとしているのが好き。

⑤正業につけないヤクザな性分だ。

・筆者は大学で小説の創作を教えているが、志望動機は①から順番に比率が高い、でも小説家になれる人は⑤の方が事実に近いと思っている。

・問題は大作家になれるかどうかではなく、もう一人の自分を作り出して自分の人生の定められた壁を越えることができるか。

 

文章はもう一つの身体

 文章は書かれた瞬間から、もう一つの身体として生きはじめる。

・文章がいったん外に表れると目に見えない心よりもずっと強い。

これが文章のこわいところ、いいかえれば面白いところである。

なんかネット社会をよく表している気がします。たとえゴシップでも記事なって流れちゃうと真実なんか覆い隠されちゃう事もしばしばありますもんね。

 

書くことは化ける事

・柳美里の「七十九頁行き」というタイトルの小文を例として紹介。

・この作品によって「ありのまま」を超えて作品の中で読まれる「私」へ生まれ変わる=化けることが出来た。

書くという行為には、このように自分の「ありのまま」の人生を、意志的に作り変える作用が潜んでいる。

 

まとめ 

小説家になるのは甘くないぞって事と、書くって事は自分を昇華させる事なのかな。

紹介されてた柳美里さんの「七十九頁行き」は結構面白かったので、柳美里さんの本を読んでみようかと思う。

あととにかく恥ずかしい。。。。。

 

 

さぁ【実践練習第2日】です。

自分の気に入った文章の断片を用意して、その断片の文章をまるごと含めるか、あるいは、そこから発想を広げて別の文章にするという課題である。

 題材が載っているのでそれをもとにします。

ある日曜の朝早くにスタントン通りを歩いていると、何メートルか先に一羽の鶏が見えた。私の方が歩みが速かったので、じきに追いついていった。十八番街も近くなってきたころには、鶏のすぐうしろまで来ていた。十八番街で、鶏は南に曲がった。角から四軒目の家まで来ると、私道に入っていき、玄関前の階段をぴょんぴょん上がって、金属の防風ドアをくちばしで鋭く叩いた。やや間があって、ドアが開き、鶏は中に入っていった。

(ポール・オースター編『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』柴田元幸他訳)

「鶏放し飼いかよ。」

どう見ても、鶏の品種は軍鶏系だった。サイズといい、肉付きといいもう食べごろである。なぜ皆、あれを捕まえて食べようと思わないのだ。

ここに住んでいる人たちは裕福な人が多いからなのか?それともあそこの家の住人がものすごい権力者なのだろうか?

しかし、あの家を見る限りそんな人が住んでいるようには見えなかった。

そこで、私はまた来週の日曜に捕まえて食べてしまおうと考え、その場を離れた。

 

用事を一通り済ませると、私は今朝の鶏の事を思い出した。

どうやって食べてやろう。鍋が良いか?から揚げが良いか?いや、焼き鳥もいいな。

ものすごくわくわくしてきた。

家に帰る途中で、捕まえるための網とかご、捌くためによく切れるナイフを買って帰った。

 

それから一週間の間、私は仕事の合間に鶏の料理法を調べる事が日課になった。

結果、せっかくの軍鶏系である。鍋にすることにした。

金曜の仕事帰り、日本食材を取り扱っている店でソイソースと日本の野菜を買った。

これで準備万端である。あとは日曜日を待つだけだ。

 

日曜日の朝、前回よりも早くにスタントン通りに出た。

少し待つとあの鶏が現れた。周りに人影は見えない、素早く近づくと鶏はやや驚いたようだが、慌てる様子は見せなかった。

網をふるうと鶏は軽く飛んで逃れた。

私の網をふる速度では捕まえられなさそうだ。戦法を変えてそばにあった石を投げつける。奇跡的に石は鶏の頭をかすめ、鶏は意識を失った。

かごに詰めて家に持ち帰る。

 

家について捌くために鶏を縄でつるしていると、鶏の意識が戻った。

そこで私は驚愕した。

「あたたっ。痛てーな!この野郎、いきなり何しやがるんだ!」

鶏がしゃべった。

鶏のノドの形状上、人間と同じ発音が出来るはずはないのだが鶏はしゃべったのだ。

混乱の中、私はそんな事を考えてしまう。

いや、そんな事はどうでもいい。とにかくこの鶏はしゃべったのだ。

私の動揺をみて鶏は

「あーこれ。最初はみんなびっくりするよな。たしかにしゃべれる鶏なんて俺しか見たことないし。」

私が同意を見せると鶏はつづける。

「いや、俺も最初からしゃべれたわけじゃない。ひよこの頃にちかくにあった変な研究所みたいなところのゴミを食べたら、ほかの兄弟はみんな死んじまったがおれだけ生き残って、元気になったら突然、人間の言葉をしゃべれるようになったんだ。

ちなみに三歩あるいても忘れたりしないぜ。」

なんて鶏だ。身の上を若干のユーモアを盛り込みつつ話している。

周りはみんな知っているかと問いかける。

「ああ、あそこの周辺住民はみんな知ってるぜ。良くしてもらってる。ところでこの体勢なんとかなんないかな?」

 

これはヤバい。みんな知っているのに食べてしまったら、みんなこいつを探すだろう。私だとバレたらこの街にはいられなくなる。それどころか損害賠償請求が来るかも知れない。

 

「おい、話聞いてるか?おろせって言ってんだよ。鶏だからってなめんなよ。早くおろさないと訴えるぞ!」

 

ん?そうか、このまま解放してもこいつはしゃべれるのである。周りに私がさらった事を吹聴してまわるに違いない。幸い行きも帰りも誰にも会わなかった。ここはいちかばちか証拠隠滅を図った方が良い。

 

私は決断を下し、鶏を鍋にして食べた。やはり日本食は美味い。

 

あれから、2年。いまだにあの鶏を捌くときの叫び声を思い出し夜中に起きたりするが、そのあとの味を思い出すと良い思い出のように思える。

幸いにも周囲に私が食べたことはバレていないようだ。

 

また、その辺を鶏が歩いていないだろうか。

 

 

実践についての感想

1回目から「まぁどうせ実名を明かしているわけじゃないし、いいか」と心の中で唱え続けたので、大分、恥ずかしさも半減

 

 

しないよ!

くそ恥ずかしい!なんなんだ、若干、パニック発作起こして会社でお漏らしした時より恥ずかしいよ。なんなんだ。

昔、どっかの小説家が「小説っていうのは、作者の恥部の切り売りなんだよ。」って言ってたけどまさに。まさにですよ。

 

で、本文です。

 2.「作者」と「読者」

はっきり断言してもよいが、その人が書けるレベルは、読んだ経験のレベルとほぼ等しいのである。

・自分の読んでいた小説を真似て書き出すので、どんな小説を読んでいたかが、書くときの素地になる。

・「読まねばならない」などと思うとプレッシャーになるが、それを乗り越えて読んでいくと読む快楽に目覚める。

・ゲーテの「ファウスト」など一世紀以上も読み続けられたロングセラーはそれだけの事があるから読んだ方がいい。

・読むうちに身体ごと味わった経験が自分の小説の養分になる。

 

読むのは苦痛?

・どんな小説でも最初から最後まで面白いなどという事はない。こちらの健康状態、精神状態も関わっている。

・筆者の経験としてスタンダールの「パルムの僧院」を読んだとき、最初は退屈だったが後からどんどん面白くなった。そういう本があるという事を知った。

・また、別パターンとして谷崎潤一郎「細雪」は十代二十代のころは退屈だったが、三十代になると嘘のように沁みた。

小説を読むときは退屈を恐れなくていい、最後までつまらなかったらその作品がつまらなかっただけ。

 

面白がる能力

・筆者は職業柄、大量に本を読むが速読術について質問を受けることがおおい。

・普通の速読術は斜め読みしてポイントを拾うが、段落ごと拾い読みした方がわかりやすい。

・ペラペラめくって気になった一段落を読む。そしたらまた何ページかめくってまた一段落を読む。あとは後ろから読んで結論から辿っていく。

ただし有効なのは理屈っぽい評論やエッセイ。小説でそれをやったら意味がない。

・小説を速く読むコツは「面白がる」こと。どこにも面白い要素がなかった即座に中断する。ただしそこまでひどい小説はあまりない。

・細かなことにこだわらないで眺める。気になるのところがあればメモしたり、読み返してもいい。結果的にはその方が速くよめる。

・小説を読んでも全部がきちんとおぼえてはいないが、印象を受けたところや手ごたえは残っている。小説は全てを理解しなくてもいい。

 

密かな師匠 

気ままに何冊も読んでいるうちに、無性に気になる作家が現れる。そうなればしめたものである。

・ある作家が基準になれば、他の作品を読んだり、その作家が影響を受けたり、その作家に影響受けた人などの作品を読んでみるといい。

・一人の作家を幹にして少しずつ広げていける。

・そうしているうちに自分の心の支えになるような作家に出会えれば、その人が「師匠」になる。

・小説の世界は師弟関係がないので、その「師匠」が孤独に耐えるよすがとなる。

・模倣やパクリはだめだが、影響を受けることは恐れるべきではない。

おすすめするのは外国の作家。言語も習慣も異なるので、影響を受けても自分の書く小説にあまり反映しないし、日本の作家だと盗作っぽく思われるけど、外国だと高級な感じがする。

 

まとめ

幸い、古典を読むのは好きなので結構読んでいる。

師匠にしたいほどの人にはまだ出会ったことないなぁ。芥川が好きだけど、普段の生活とか模倣したくないし。 

段落を読むって言うのは良さそう。速読だと早く読むための訓練とか視野広げる訓練とかいるから大変そうだし。

 

 

えっと【実践練習第3日】です。

【実践練習第3日】最初の記憶を書く

前書きや後書きはいらないそうですので早速。

 

 

アパートに囲まれています。

トタン屋根の古びたアパートです。

暖かくも寒くない日に父の手をしっかり握って、その一角からでました。

車がいっぱい走っている道路をしばらく歩き、左に曲がりってさらに右にへ、商店街にでました。にぎやかです。

皆、私に笑顔を振りまいてくれました。すごく気分が良くて私も笑いかけます。

父も笑顔でした。

そうこうするうちに、 目的地に着いたようです。

そこは銭湯でした。

 

 

記憶にあるのはここまでです。

多分、2歳くらいの頃ですね。その頃はアパートに住んでました。お風呂が小さくてたまに父に連れて行ってもらえる銭湯が嬉しかった覚えがあります。

 

3.創作メモを創作する

小説はいきなり原稿用紙やモニターに向かっても、書き出せない。書き出せたとしても長続きしない。

・行き当たりばったりはいけない、建築と同じで設計図が必要。

・こうでなければならないという法則はないが、創作ノートを作る事から始めると良いのではないか。

・創作ノートには2つの面があって「ネタ帳」と「備忘録」。

 

現場は散らかっている

創作ノートは端から丁寧に整理して書く必要はまったくない。真ん中に、隅っこに、自由に書きなぐったほうがいい。

・創作ノートはメモ集。

・作品ごとに何冊も使いわけない。思いついたことは何でも書く。

・ノートは資材が置かれている建築現場。

・散乱しているように見えるが、それが表現の現場というものである。

・長期的には無意味なメモは少ない。

 

スケッチは宝物

メモにはどんなことを書くのか。

ストーリーの続きのアイデアもいいのだが、大事なのは細部である。

・吉行淳之介という作家はタバコを買いに歩いていくだけで、四十枚程度の短編小説が書けると述べた。

・ストーリーに頼らない豊かさが必要。

・梶井基次郎の短編「檸檬」は主人公が街をぶらぶら歩きまわっているだけだが、スケッチがとても心地よい。

頭で作ったストーリーだけを追いかけて、次々と会話と出来事だけを書き連ねていると、一見小説らしくはあっても、じつは小説の一番美味しい部分を取り逃がすことになる。

・本筋に関係ない細部の文章が読者を引きつける。

・観察よって生じたイメージも大事。

 

列車は観察の道場

・電車で周囲を観察して、想像を広げていくのはけっこう楽しい。

・持ち物やファッションは時代や生活、暮らしも反映されている。

・もっとも大事なのは話し方。

・会話が等身大にリアルに書けたら作家としては合格。

藤野千夜「秘密の熱帯魚」を題材として

この会話はいわばリアルさを損なわないように、わかりやすい文章に整えられている。いってみれば、書き言葉として落ち着いた話し言葉になっている。

 

事件の裏側 

実際に報道された事件に材料をとることがある。

 

そのデータをもとに、背後に隠された事実や心理を想像することが小説家の領分なのである。

 ・自分であるいたときの観察や発見も大事。

・断片的な情景が、小説の舞台に臨場感を与える。

・細部に神が宿る。その細部を補強するのがノート。

 

感じる、カンジる

作中人物と同じようにその場の雰囲気を味わうことができる、ということである。

・「五感」による追体験によって、小説の世界の中に参加できる。

・視覚ばかりがつい中心になってしまうが、他の感覚にも注意を払えば驚くほど効果が挙がる。

何かをノートに書いたら、必ずそれに付随する「五感」を喚起する言葉をどんどん添えておくようにするといい。

 

まとめ

小説に臨場感を持たせるのは、五感が大事。私の文章には視覚ばかりで全然五感ではないですね。

まだ、3日ですがなかなか盛りだくさんな気がしてきました。

 

 

【実践練習第4日】です。

三種類の音楽を選んで用意する。

それらをBGMとして、ストーリーや場面を書く。

歌詞がわかるものではない方が良いらしいので、スメタナ「モルダウ」、千住明「日曜美術館2012」、TARO IWASHIRO「The Graces In Your Eyes」の三曲にしました。

 

「モルダウ」から

ひんやりした空気を全身に感じる。霧の隙間に湖面が見えた。

久しぶりに温泉に来て本当に良かった。朝からゆっくり風呂につかるなんて何年ぶりだろう。

 

先月、会社が倒産した時は、どうなる事かと思ったが父から引き継いだ田舎の土地を売ったらぎりぎりこれから働かなくて良いくらいにはなった。

 

しばらくのんびりしよう。そう思い思い切って温泉旅行に妻と来たのだった。

 

ふと、先ほどの湖面を見ると人影が見えた。

足元が水に浸かった、女性だ。

私は目を疑って、目をこする。

再び湖面を見ると人影はなかった。

 

 あんなにはっきりと見えたのになんだったのだろう。

 

私はしばらく風呂につかって、風呂を出た。

 

千住明「日曜美術館2012」

「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっー」

汗が地面に落ちた。朝のランニングはやっぱり気持ちが良い。

 

昨晩の親との喧嘩などもうどうでも良い、小さいことに思えた。

 

「おはよう」

「あっ、おはようございます」

 

いつもランニングで会う、サラリーマンの土井さんだ。

土井さんは、いつものさわやかな笑顔だった。お子さんが中学生くらいなので、たぶん四十代くらいだろう。でも見た目は二十代に見える。

 

軽く世間話をする。

 

土井さんのようになるにはどうしたら良いのだろう。

ふと、そんな考えが頭に浮かんで、ちょといたたまれなくなった。

 

TARO IWASHIRO「The Graces In Your Eyes」

窓の外が赤い。

 

寝すぎた。ちょっと昼寝と思い、13時頃に横になったんだがもう夕方だ。

重かった頭はだいぶすっきりしている。

無駄ではなかったかも知れない。

 

この後、特に予定もない。

だらだらとTVでも見ようかとリビングに行くと箱が置いてある。

 

なんの箱だろう。親は何も言っていなかった。

かなり堂々とリビングの真ん中に置いてある箱。

アルミ製のように見える。

 

近づいてみると、カサカサ音がした。

慎重に蓋を開けてみる。

 

なんとも言えない獣のにおいと木のにおいがした。

中には木くずが敷かれていた、その上にはつぶらな瞳でこちらを見ているものが。

ゴールデンハムスターだ。

 

いつの間に買ったんだろう。

 

4.文から始まる

小説は最初の一文字目から、全てを文章で書くという試練の連続である。

・セリフがえんえんと続きそのあとあらすじで経過を一気に説明、またセリフの繰り返しなら何百枚でも書ける。それだって「小説」である。

・しかし小説には他者に向かって書くという事に謙虚でなければならない。

文章は、その他者との唯一の掛け橋なのだ。

 

「私」って何者?

・語り方は自由だが、一貫性が必要。

・小説とはふだん書くのと同じ文章だが、ふだんの言葉の使い方とはまったく異なる語り方をしている。

 

マンガで文を書けるか?

・筆者は五十二歳だがテレビやマンガが必需品だった。

・後の世代は多かれ少なかれ影響を受けている。

・マンガを頭において書くと人物の姿や状況が足りないスカスカの小説になりがち。

・小説を書くときにある場面をマンガで描いてみる。表情も風景もうまく描けない。その不足分を文章で補うしかない、その時にべつの言葉の技術が必要になる。

感想文が奪ったもの

・日本の教育では、読書感想文や小論文を皆、書かされた。

・その甲斐あって、文章を書く力はある程度あるがこれは考えや意見を書くことばかり。

・小説に必要なのは描写力。

本書に載っている実践練習の大半は、じつは描写力を増すためのトレーニングにほかならない。

 

話し言葉と書き言葉

文章を書く力が日本で一気に普及したのには、明治時代末に文語から口語へ、つまりしゃべる形式に近く書く文体が広まったという事情がある。

・これを言文一致運動という。

・本当におしゃべりと同じ文章になったわけではない。それに近い文章体を編み出してきた。

 

演じる文体 

・現代の小説の文章は、概してより匿名的で演技的である。

・これから小説を書こうという人は、自分の文体を何らかのかたちで探しあてなければならない。

あるキャラクターを持った何者かを演じきれるようなスタイルを、意識的に身につけた方がいい。

 

ストーリーを考えたりテーマを考えたりするよりも、どういう文章で書くのか。それが一番最初で、そして最も大切な問題なのである。

 

まとめ

ちょっと昔っても大正とかの頃のコラムとか読むと、日本語が乱れているとかって話が良く載ってますけど、言文一致とかの影響もあるのかなと。

ちゃんと時代の流れてっていうか、変化があって変わっているんですね。

 前回の五感が大事って言うのがさらに補強された感じでした。普段、視覚頼りばかりなので改めて、五感を意識して行動しようかと思います。

 

 

【実践練習第5日】

まず一人称の「私」を用いて普通に文章を書いてみる。書く内容としては、読んだ本の感想のような文章は避ける。

 

その人称だけを、三人称の「彼(女)」に変えてみる。

 

それを三人称に合うように補足したりして書き改める。

 

最後に、変えた人称を「私」に戻して読み返してみよう。

 

私は最近、職場で気になっていることがあって若い子達が何かを報告する際に、「一応出来ました」とか「一応報告です」など、何かと最初に「一応」をつけるのである。しかも不安げに。

「一応出来ました」ってなんなんだ!?「一応」だったら出来てないんじゃないかと思うんだが、違うのか。「一応」な報告だったら報告されても困るんだけど。

私はすごく気になって別の人に話を聞いたら、どうやらとにかく早く上げて一旦見てもらった方が手直しも少なくて済むし、時間も節約になると言うことらしい。

たしか最近ちらっとそんな事が書いてあるビジネス書を私も読んだ気がするけど、たぶん自信も持てないほど不完全な状態で、提出しろとは書いてないと思う。

今後、延々と「一応」と聞くのは私は嫌なので、「一応」だったら報告いらないからと伝えておいたが、今日も「一応こんな感じに」とか言われた。なかなかうまく行かないものである。

彼は最近、職場で気になっていることがあって若い子達が何かを報告する際に、「一応出来ました」とか「一応報告です」など、何かと最初に「一応」をつけるのである。しかも不安げに。

「一応出来ました」ってなんなんだ!?「一応」だったら出来てないんじゃないかと思うんだが、違うのか。「一応」な報告だったら報告されても困るんだけど。

彼はすごく気になって別の人に話を聞いたら、どうやらとにかく早く上げて一旦見てもらった方が手直しも少なくて済むし、時間も節約になると言うことらしい。

たしか最近ちらっとそんな事が書いてあるビジネス書を彼も読んだ気がするけど、たぶん自信も持てないほど不完全な状態で、提出しろとは書いてないと思う。

今後、延々と「一応」と聞くのは彼は嫌なので、「一応」だったら報告いらないからと伝えておいたが、今日も「一応こんな感じに」とか言われた。なかなかうまく行かないものである。

 ↓

彼には最近、職場で気になっていることがあった。若い子達が何かを報告する際に、「一応出来ました」とか「一応報告です」など、何かと最初に「一応」をつけるのである。しかも不安げに。

「一応出来ました」ってなんなんだ!?「一応」だったら出来てないんじゃないかと彼は思ったが、違うのであろうか。彼は「一応」な報告だったら報告されても困ると思った。

彼はすごく気になったので別の人に話を聞いたら、どうやらとにかく早く上げて一旦見てもらった方が手直しも少なくて済むし、時間も節約になると言うことらしい。

たしか最近ちらっとそんな事が書いてあるビジネス書を彼も読んだが、たぶん自信も持てないほど不完全な状態で、提出しろとは書いてないと思った。

今後も、延々と「一応」と聞くのは彼も嫌なので、「一応」だったら報告いらないからと伝えておいたが、今日も「一応こんな感じに」とか言われていた。なかなかうまく行かないものである。

 ↓

私には最近、職場で気になっていることがあった。若い子達が何かを報告する際に、「一応出来ました」とか「一応報告です」など、何かと最初に「一応」をつけるのである。しかも不安げに。

「一応出来ました」ってなんなんだ!?「一応」だったら出来てないんじゃないかと私は思ったが、違うのであろうか。私は「一応」な報告だったら報告されても困ると思った。

私はすごく気になったので別の人に話を聞いたら、どうやらとにかく早く上げて一旦見てもらった方が手直しも少なくて済むし、時間も節約になると言うことらしい。

たしか最近ちらっとそんな事が書いてあるビジネス書を私も読んだが、たぶん自信も持てないほど不完全な状態で、提出しろとは書いてないと思った。

今後も、延々と「一応」と聞くのは私も嫌なので、「一応」だったら報告いらないからと伝えておいたが、今日も「一応こんな感じに」とか言われていた。なかなかうまく行かないものである。

 

今さら聞けない30の質問 パート1

1.原稿の分量を「○枚」と言うのはページ数のことですか?

 ・四百字詰めの原稿用紙で一枚二枚と数える習慣がある。

・ワープロ、パソコンで書いても「枚」を単位にしている。

・一行を四十字にしておくと、数えやすい。

 

2.よくある「‥‥」は、どうして二字分つなげるのですか?

・活字を組む時の長年の習慣

 

3.会話のカギ括弧の最後には句点が必要なのですか?

・一般的には使わない

・使うかどうかは統一して決めたほうが良い

 

4.縦書きで「!?」って、どうやって出すの

・半角で入力し、「書式」→「拡張書式」の「縦中横」を選べばできます(Wordの場合)。

 

5.ルビはどれくらいふればいいですか?

・そのままでは読めないような難しい漢字にふるだけ

・ルビをふらなければいけないような言葉をなるべく使わない

 

6.原稿用紙の使い方がよく分かりません。

・実際に印刷した本をみれば全部わかる

 

7.句読点のつけ方を教えてください。

・読点「、」はルールがあってないようなもの

 

8.改行の仕方には何かルールがあるんですか?

・あってないようなもの

 

9.ストーリーがまとまらない場合、どうすればいいですか?

・山道で迷子になりそうなときと同じ

・よく分かっていたと言うところまで戻る

 

10.書いてるうちに、自分が何を書きたいのか、分からなくなってしまいました。

・分かるまで待つ

・それが「テーマ」だったら分かる必要はない

・ハッキリ分かっている小説は本当はつまらない

 

まとめ

とりあえず、1章終わりました。

今日はつかれたので、もう寝ます。

 

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